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和食について日本の食文化を学ぶ

マインドマップで全てを見える化#07

令和3年の現在から数えて約8年前の平成25年12月4日、無形文化遺産として日本食が「和食:日本人の伝統的な食文化」へ正式に登録されました。身近な例でいえば、お正月に食する「おせち料理」は時代の流れを感じられる大切な料理文化です。今回は日本食について特徴や歴史について整理し、また分類についてEdrawMind(旧名:EdrawMind)で見える化をしてみます。EdrawMind(旧名:EdrawMind)で描くことで俯瞰的に情報を伝えることができとても便利です。

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Part 1: 魅力と特徴

和食の歴史について後ほどご紹介いたしますが、和食は日本人の自然に敬意を払う気を基礎としています。その背景には、島国ならではの自然や対外への畏怖の念危機感などが信仰へと向かうのでしょう。そのため、和食文化には宗教、そしてそれを「おもてなし」として大成した茶の湯とはきってもきれない関係にあるようです。そんな和食について魅力とはどんなものかご紹介します。

和食について魅力

① 四季のある国土が様々な素材を生み出す

日本は南北に長く国土としては狭い島国で、四季があるのが特徴です。そのため、それぞれの地域にしかできない素材を持っていることが特徴です。この素材をあらゆる調理方法でたくさんの人に味わってもらおうと努力するところも日本人の気質ならではです。

② 禅の心から発達した健康的な食生活

和食は一汁三菜を基本とする食事スタイルをとります。その中に出汁のうま味を取り入れることで、動物性油脂を少量にとどめ、健康的な食生活を送ることができます。特に高野豆腐などはたんぱく質を保存のきく方法で摂取することができることから、海外からも注目の集まる食材となっています。

③ 自然の美しさともてなしの心を組み合わす

和食の由来となる精進料理は茶の湯の大成とはきってもきれぬ関係です。この自然美を良しとする日本の心に、自然美である四季を取り入れるのも和食の特徴の一つです。野菜だけでなく季節の花や葉などで装飾し、調度品にも変化をつけ、五感で楽しませてくれます。

④ 年中行事とも深く関係させる

宗教とともに発展してきた和食ですからもちろん、年中行事とも密接にかかわります。特に、自然災害の多い島国ですので「分け合い」の精神を食でも表現します。食を軸に、家族そして地域との関係を深めます。

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Part 2: 歴史

日本の食文化の初めての記述は中国後漢の皇帝の時に班固という方が書いた『魏志』倭人伝(280年~290年)にさかのぼります。日本の和食文化についていつ始まったかは諸説ありますが、お米と同様に和食文化に欠かせない「出汁」の元となる乾物に注目してみます。『続日本紀』(797年)によれば鰹と昆布が登場していますが、「出汁」となって記述されるのは、江戸時代に入ってからのようです。

和食の歴史

① 平安時代(797年-1185年)

最初は栄華の味として平安貴族料理をルーツにもつ和食ですが、和食文化のはじまりは平安時代に禅宗の流行が背景にあります。この禅宗の流行から禅宗の僧は規律から肉を食べることができなかったため、大豆などを食べるようになり精進料理への基礎となります。

② 鎌倉時代(1185年-1333年)

鎌倉時代になると、和食の発達の起源であった宗教が民衆化することにより、武士を中心に精進料理が広く伝わるようになります。

③ 室町時代(1336年-1573年)

室町時代になると、縄文時代からあったお米ではありますが、今私たちが炊いて食べているような「姫飯(ひめいい)」を食べられるのが普通になってきます。平安時代から誕生し、宗教の民衆化を通して和食文化が発達してまいりましたが、この室町時代になると武家特有の料理が整い今でいう「懐石料理」の基礎となるものができます。これを、日本料理の誕生とする意見もあります。調味料として使われていた乾物を「出汁」として用いた一番古い記述があります。

④ 安土桃山時代(1568年-1600年)

安土桃山時代になると千利休が「茶の湯」を大成させます。これは、懐石料理を成立させた大きなきっかけになります。南蛮船から天ぷら、がんもどき、カステラ、コンペイトウなどが伝わります。

⑤ 江戸時代(1603年-1868年)

和食文化は貴族の文化が精進料理と結びつき民衆化し、茶の湯の大成と共に成立を迎え、江戸時代になると和食文化が成熟期に入ります。特徴としては、個人膳としてお皿の数も多く、残すのが当然というものでした。お皿数も多く残すのが当然ときくと豊かな食生活を想像しますが、度重なる飢饉も多く、僧やその地に訪れた観光者の土産物として高野山で作られる保存がきく貴重なたんぱく源として高野豆腐が近畿から全国へと広がる独自の食文化もありました。

⑥ 明治時代以降(1868年-)

明治時代になると肉食が公に解禁され牛鍋などが流行します。お料理は温かいものが多く、やわらかく、甘い味つけが主流となります。海外との交渉がある階層では、西洋料理が食べられるようになります。

Part 3: 分類

和食を分類すると、宗教を通して貴族文化、武家文化で発達し、民衆化することで成熟していきます。初めは、有職料理として貴族のものだけでした。そこから、宗教の民衆化をきっかけに、武家へと伝わります。その流れから本膳料理など身近なものになります。御節料理などの節句に食べる和食はその時間の流れを感じれる大切な食文化です。

和食の分類

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まとめ

今回は見える化第7弾として日本食について整理してみました。食文化は信仰と結びつき私たちの生活に根付いています。小さな島国で生活する「分け合う」精神を具現化した食文化について、歴史を通して学ぶことができました。信仰と深く関わりあう食文化に畏怖の念と敬意を感じずにはいられません。



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