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戦国時代の概要を理解するには、1つのマインドマップで十分!

マインドマップで全てを見える化#18
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編集者: Edraw

戦国時代は、1467年に起きた応仁の乱から、1603年徳川家康が天下統一をして江戸幕府を開くまで約140年間とされています。火種は管領と将軍の後継ぎ問題とされています。今回は動乱の戦国時代の概要をEdrawMindで見える化をしてみました。

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Part 1: 年表による

1467年応仁の乱が始まる前の情勢としては、徳政一揆が横行する中、関東管領上杉氏の一族父にもつ太田道灌が江戸城を築きます。その後、飢饉や政変が起こるとついに応仁の乱が起き、戦国時代の幕開けです。

戦国時代主な出来事

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① 応仁の乱

足利義政による有力家臣からの合議制による政権運営が行われていました。そんな中、管領家で畠山家と斯波家に家督継承をめぐる内部抗争が発生します。細川勝元、山名完全が介入して義政による朝令暮改の繰り返しより政局不安定に陥ります。その上、将軍家の継嗣問題も生じ事態は混迷の度を深め10年の大乱になりました。その結果、守護の力が衰え領国支配に支障をきたすことになりました。

② 桶狭間の戦い

桶狭間の戦いとは、織田信長が今川義元を破った戦いで信長飛躍も契機となりました。尾張の信長が、駿河の今川義元を破った戦いです。今川軍が織田軍の支城を次々と陥落させる中、織田軍は先鋒に攻撃を仕掛け義元の本陣を急襲します。この大逆転劇を契機に戦国の覇者へと飛躍します。

③ 本能寺の変

本能寺の変とは、織田信長が天下統一を目前に重臣の明智光秀の軍勢に京都・本能寺で包囲され敗死してしまう変のこと(ちなみに、「乱」は政治権力に対する武力による反抗を表し、「変」は政治権力者である天皇・皇族、あるいは将軍が1点の立場からみて不当な立場に置かれた状態をさす分類とされています)。光秀の動機には諸説ありますが、未だに論争があり日本史最大のミステリーとなっています。

④ 賤ケ岳の戦い

賤ケ岳の戦いとは、織田信長の後継者の地位を争って羽柴秀吉と柴田勝家が対立した戦いです。羽柴秀吉は、弔い合戦として大義名分を掲げ、池田恒興、神戸信孝、丹羽長秀、中川清秀、 高山右近を率いて、明智光秀との山崎の戦いに臨み、仇討ちを果たします。そして、尾張の清洲城で織田家の重臣を集め、清須会議を開き信長の正統な後継者を定めようとしました。しかし、その対立が長引き賤ケ岳の戦いへと発展しました。

⑤ 関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いとは、豊臣秀頼の遺児である秀頼を擁する西軍・石田三成と東軍・徳川家康が美濃の関ヶ原で激突した戦いになります。家康が会津の上杉景勝征伐のため東下したところ、三成が挙兵し日本を二分する争いに発展しました。本戦では、光成を嫌う黒田長政と細川忠興らが西軍に殺到するが、西軍諸将はそれに撃退をしかけます。最終的には、小早川秀秋が裏切り総崩れとなりすぐに決着となります。光成は近江方面へ逃走しましたが、共謀者の小西行長と安国寺恵瓊(えけい)と斬首の刑に処され終わりました。

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Part 2: 武将による

① 朝倉孝景

朝倉孝景は下克上の先駆けと言われています。斯波氏の重臣であった朝倉孝景は、応仁の乱で斯波義廉に従い西軍の武将として活躍します。しかし、同輩の甲斐敏光が反目していた斯波義敏と結びかけたことから東軍に寝返り優位にします。孝景は越前に戻り一乗谷を本拠に甲斐一党と戦い、一国を掌握します。その結果、斯波氏に代わり越前の国主になります。この一連を受け、下剋上の始まりとされています。

② 織田信長

織田信長は、天下統一を目前に非業の死を遂げた三英傑のひとりです。桶狭間の戦いで駿河の今川義元を破ります。その後、美濃を制圧し足利義昭を奉じて京に上洛すると室町幕府15代将軍にさせます。しかし、関係が悪化したことで義昭を中心とした包囲網や、本願寺の顕如が率いる一向宗門徒からの2度の包囲網に苦しみますがどちらも退けます。後、近江、越前、甲斐などの諸国を残したところで、京都の本能寺で重臣の明智光秀の軍勢に包囲され敗死します。

③ 豊臣秀吉

豊臣秀吉は、織田信長に仕えると頭角を現します。中国攻めの大将に任命されるまでに出世します。本能寺の変後は、中国から取って返し山崎の戦いで明智光秀を破ります。その後、信長の天下統一事業を完成させ豊臣政権を樹立します。

④ 徳川家康

徳川家康は、三河の戦国大名で岡崎城主の松平広忠の子です。幼少の頃は、今川氏の人質となりますが、今川義元が織田信長に討たれたことで独立します。その後、信長と秀吉に協力し勢力を拡大し、秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利し征夷大将軍となります。1615年、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼし、天下統一しました。

まとめ

今回は見える化第18弾として、戦国時代の概要ををEdrawMindで見える化してみました。その中でも、EdrawMindの有料サービスのS字タイムラインでは年代と略歴を順序で追うことができますので、歴史把握には相性が良いです。今回は、監修山本博文『日本史と世界史並列年表』を参考にしながら日本史への見える化にとどまりましたが、世界史の時間軸とを合わせてみてみるのも楽しいかもしれません。



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